【感想・考察】赤いくつ【アンデルセン】

感想・考察 物語
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※ネタバレ注意!
この記事には作品のネタバレが多く含まれております。未読の方はご注意ください。

ナラ
ナラ

赤い靴はハンス・クリスチャン・アンデルセンの創作童話。1845年に出版された童話集「新童話集Ⅰ−3」に収録されて出版された作品だね

ロジィ
ロジィ

今回、我々は1955年7月15日初版発行、同和春秋社「新訳アンデルセン童話集 第二巻」に収録されていた作品を青空文庫で読んだ

ナラ
ナラ

西洋的な教会や天使、神様が出てくるんだけど、翻訳が和風になってて、ちょっと面白かったね

ナラの感想

赤い靴と少女カレン

赤い靴に魅入られてしまった女の子のカレンは、赤い靴を好きなあまり他のことを蔑ろにしてしまう。

それを良くないと思った人たちはカレンを注意したりもするんだけど、カレンはやっぱり赤い靴の誘惑に負けてしまう。

そんなカレンは結局天使様から赤い靴を履いて踊り続けないといけないっていう、世にも恐ろしい罰を受けることになったんだ。

踊りは靴のせいなんだけど、その靴は決して自分で脱ぐことができない。結局カレンは散々踊り続けることになって、ついにはその踊りから解放されるために、自分の足まで切り落とした。
いや、凄い決断だね。

そうして、それからカレンは改心して、いっぱい懺悔したんだ。

最終的に神様のお赦しが与えられたカレンは、神様の国に行くことを許されて、めでたくハッピーエンド。

カレンの人生は、赤い靴に翻弄され続けた人生だったね。

ハッピーエンド……?

実はボク、この物語がハッピーエンドって、あんまり思えなかったんだよね。

多分それは、ストーリーが豪快で大味だからっていうのもあるんだけど、カレンが何故生まれてきたのかっていうところが腑に落ちないからなんじゃないかって思う。

貧しかった女の子が、お母さんまでいなくなって、ちょっと自分の好きなものに夢中になったら、とんでもない罰を受けて、反省したらすぐにこの世とさようならだ。

勿論カレンは、自分の欲求に負けて恩人を見捨ててしまうなんて罪を犯したけれど、それでもカレンはまだ自分の欲求をうまくコントロールできない子供だ。

そんな子供に何もかも責任を押し付けてしまうっていうのは流石にちょっと理不尽じゃない?

童話

きっと、ボクがこうした疑問を持つのは、「赤い靴」が童話だってことを度外視してしまったからなんだ。

童話っていうのは、子供向けのお話になるけど、その中で何か子供たちに大切なことを伝えようとすると、凄くわかりやすい表現を使うしかない。

このお話の場合は、カレンが考えられる正しいことよりも自分の欲求を優先してしまったことが罰を受けるべき悪いことだ。

その罪を贖うためには、心を入れ替えて真摯に生きていくしかないんだってことが、きっと伝えたかった教訓 。

カレンみたいな間違いっていうのは、確かにまだ自分の興味が最優先! って子供時代に多く見られる失敗だと思う。

そして、しっかりと反省して、他の子どもたちが自分と同じ失敗をしようとしたときに、それがダメなんだって教えることは、分かりやすい贖罪の形だよね。

こうして童話としてみてみると、確かに要所要所のインパクトが強くって子供にどういうことかなって考えてもらうには十分わかりやすい物語になっていると思う。

お話の道筋も、罪と罰、懺悔と後悔、贖罪と赦しっていう、ものすごいストレートな進行で、紆余曲折が少ない。

だから、このお話は「童話」なんだって改めて思ったかな。

ロジィの分析

カレンの敵対者とは

物語には必ず敵対者が必要である。

その敵対者とは、ライバルであったり社会であったり、自分自身の醜い部分であったりと様々な形をしている。

敵対者との対立があって初めてキャラクターは葛藤する。

その葛藤が真に迫っていればいるほど物語の共感性が高まっていくのである。

赤いくつの主人公であるカレンの敵対者はなんだろうか。

それは赤いくつ通して生まれるカレン自身だと私は思う。

赤いくつの誘惑は強く、カレンは何度もその誘惑に負けてしまっている。

おとぎばなしの特徴を持つ童話

 あるところに、ちいさい女の子がいました。その子はとてもきれいなかわいらしい子でしたけれども、貧乏だったので、夏のうちははだしであるかなければならず、冬はあつぼったい木のくつをはきました。

ハンス・クリスティアン・アンデルセン/楠山正雄訳『赤いくつ』青空文庫

アンデルセンの赤いくつは童話であり近代文学だが、物語の構成はおとぎばなしに近い特徴を持っている。

その特徴は3つある。

①限定されない世界

おとぎばなしの特徴が最も分かりやすく現れるのが、おとぎばなし特有の書き出しである「昔々、あるところに」という部分。

おとぎばなしの世界では時間も場所も限定されない。

非限定の時間空間で展開される物語、それがおとぎばなしである。

②贈与者の存在

おとぎばなしの世界ではたびたび主人公に魔法や道具を与えるものが登場する。

しかし、彼らが必ずしも主人公を助けてくれるとは限らない。

赤いくつに登場する老兵はカレンに呪いを授けた。

その呪いは直接的にカレンを苦しめる。

③人間個人の心理には触れない

おとぎばなしの3つ目の特徴として、人間の心理の細部が描かれないところがある。

例えば、悲しみを表現するのに「たいそう悲しみました」と紋切り型の形容だけですませてしまうのだ。

なぜそこまで悲しかったのか、どうしてその個人はそれが悲しいことなのかは言及しない。

これは、おとぎばなしが人間の集団の中で自然発生的に生まれた物語だからだと考えられる。

アンデルセンの「赤いくつ」の構造もこれに酷似しており、共感よりも教訓が前にでるように工夫されているように見えた。

ナラとロジィの「赤いくつ」

ロジィ
ロジィ

かつて、この世界に「子ども」は存在しなかった

ナラ
ナラ

なに突然

ロジィ
ロジィ

十八世紀頃までは子どもがいなかったんだよ

ナラ
ナラ

え、どゆこと?

ロジィ
ロジィ

正確には子どもという概念が存在しなかった

ロジィ
ロジィ

もちろん、親と子って考え方はあったが、社会的に子どもは「小さな人間」という扱いを受けていたんだ

ロジィ
ロジィ

だからその当時は子供服というものも存在せず、幼い子らは大人のお古の袖を切って着てたらしい

ナラ
ナラ

へー、じゃあ子どもはどうやって出来たの?

ロジィ
ロジィ

子どもという存在が生まれたのは、「学校教育」という制度ができてからなんだ

ロジィ
ロジィ

学校教育が始まるまでの子どもは親の仕事を手伝ったり、職人として弟子入りしたりなどして生活をしていた。それが学校教育という画一的な制度によってある年齢に達するまでそこで社会訓練を受けるようになる。そうして「子ども」という概念が出来上がった

ナラ
ナラ

なるほど、学校という存在が「子ども」という階級を作ったのか

ロジィ
ロジィ

まさに学校は子どもだけの国「ネバーランド」というわけだな

ロジィ
ロジィ

そうして子どもと言う概念の誕生をもとに生まれたのが児童文学、いわゆる「童話」というやつだ

ナラ
ナラ

え、じゃあそれまでは童話って存在しなかったの?

ロジィ
ロジィ

うん。子どもに宗教を学ばすための物語なんかはあったらしいが、純粋に子ども向けに作られた文学が出来上がったのは十八世紀以降のことなんだよ

ナラ
ナラ

へー!

ロジィ
ロジィ

童話は学校教育という制度から生まれた文学と言っていいだろうね

ナラ
ナラ

なるほどねぇ。あ、でも二十一世紀以降は逆に「子ども」という概念がなくなりそうだね

ロジィ
ロジィ

なんで?

ナラ
ナラ

中学生で社長になったり、学校に通わずに社会経験をしている子どもが目立つようになっているよね。社会に出て活躍する人はどんどん低年齢化してきている気がするんだ

ナラ
ナラ

学校で勉強しなくても生きていける時代に変化してきているんじゃないかな

ロジィ
ロジィ

そうかもしれないな。時代は巡るというが、もしかしたら「子ども」から「小さな人間」へ戻りはじめているのかもしれないね

コメント

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