【映画レビュー】JOKER ジョーカー【トッド・フィリップス】

感想・考察 (11) 物語
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※ネタバレ注意!
この記事には作品のネタバレが多く含まれております。未読の方はご注意ください。

ジョーカーは2019年公開のアメリカ合衆国のスリラー映画。監督はトッド・フィリップス、主人公のアーサーはホアキン・フェニックスが演じている。
本作はアメリカの国民的ヒーロー『バットマン』に登場する最強のヴィラン「ジョーカー」の誕生の経緯を描いている。
心優しき純粋な青年アーサーはどうして悪のカリスマのジョーカーになってしまったのか。
そこに描かれていたのは、彼をただの悪役だと言えなくなるような複雑で心かき乱す物語であった。

笑いが止まらない

この作品には多くの笑い声が聞こえてくる。しかし、その笑いの多くが嘲笑や貼り付いたような偽物じみた笑いで幸福な笑いは見えなかった。笑うという感情表現がどこまでもネガティブに見える。それがこの作品の特徴のひとつだろう。

その中でもホアキン・フェニックスが演じるアーサーの笑いは一線を画する。アーサーは脳に障がいを抱えており、感情が高ぶると笑いが止まらなくなってしまう。
発作的に出てしまう甲高い笑いは、笑っているのにも関わらず楽しげではなく、とにかく苦痛に満ちている。私はあんなにも悲しげで苦しそうな爆笑をいままで見たことがなかった。ホアキン・フェニックスの表現力の高さを感じる。
所々で発作的に笑ってしまうアーサーはまるで泣いているように見える。そして、その笑い声は後のジョーカーの狂気に満ちた笑い声と同じだった。

この笑いが止まらないという障がいは、アーサーの人生を大いに苦しめる。
彼にとって笑いは幸福の象徴ではなかった。感情が高ぶると笑いが止まらない。その障がい余計なトラブルを生む。ジョーカーが生まれるキッカケとなった証券マン殺害事件もそうして起きたのである。

アーサーの夢

大道芸人の仕事。母ペニーの介護。福祉センターでのカウンセリング。アーサーの生活はこの3つの要素で構成されている。うだつの上がらない生活の中、アーサーにはひとつの夢があった。コメディアンになることである。

しかし、この夢もまたアーサーを苦しめる悪魔であった。彼はスタンダップコメディアンを目指すものの貧困と介護、障がいのせいで上手くいかない。それでも夢を諦めずバーでショーを行うも、憧れのコメディアンであるマレー・フランクリンのテレビ番組でその無様な姿を映した映像を流されて笑い者にされてしまう。

アーサーが求めていたもの

アーサーは何を求めていたのか。

「自分がここにいることに気付いてもらいたい」という気持ちだったのかもしれない。
彼は自分がここに存在しているということが認識できないように見えた。
彼の人生において彼を承認してくれる存在がいなかった。福祉センターのカウンセリングはいつも業務的でカウンセラーは彼の話を聞こうとしない。大道芸人の仕事もうまくいかず、自分の出生すらよく分からない。

アーサーは誰からも認めてもらえず、認識されたと思ったら邪険に扱われる。自分の出生は悲惨で、格差の激しい社会では貧困から抜け出す糸口すら見えない。
ジョーカーという物語は存在の希薄な男がそこから更に自分を奪われていく物語だと思った。アーサーは物語を通して仕事、夢、母親と自分の生活を支える柱を一本ずつ抜かれていく。
彼は自分を構成していたものを次々に奪われる。奪いに奪われ、裏切りに裏切りを重ねられ、最後に残ったのは彼が引き起こした殺人事件に対する貧しい人々の賞賛だけだった。

その賞賛の声が彼がはじめて手にした自分の存在価値だったのかもしれない。

ジョーカーは悪のカリスマなのか

ゴッサムシティは悲惨な状況だった。ゴミの清掃業者によるストライキで街はゴミで溢れ、貧富の差が広がり続ける。その中でアーサーが引き起こした証券マン殺人事件は多くの貧しい人々の心の拠り所になってしまう。
街はピエロに扮した人々で溢れ、治安はこれまでにないほど悪化していた。
アーサーの知らないところで彼がジョーカーになる舞台は整えられていく。

彼は、その状況を望んで作ったわけではない。
アーサーは自分の人生に翻弄されていただけにすぎず、社会が彼をジョーカーに仕立てあげたように感じた。

アーサーは自分を笑い者にしたフランクリン・ショーにコメディアンとして出演し、自分が証券マン殺しの犯人であると自白する。
彼はそこで「自分の人生は喜劇だ」と言った。彼にとって自分の人生そのものが一つのジョークであり、人生を喜劇なのか悲劇なのかは主観でしかなく、それは善悪も同じだと言う。

それがこの物語のメッセージであり、テーマだと思った。その言葉が最強の悪役ジョーカーの口から発せられたことがこの映画の皮肉のきいたジョークのように感じてしまい、心をかき乱した。
彼の行いは決して正しいものではない。しかし、彼の主張が間違っているわけでもない。この作品の深さはそこにあるのではないか。

はたしてジョーカーは混沌とする燃えるゴッサムシティで笑い、悪のカリスマとして君臨する。しかし、私は彼が悪のカリスマに見えなかった。1人の弱い青年を、社会が勝手に悪のカリスマにしてしまう。そんなたちの悪いジョークに見えた。

ジョーカーはボンネットの上で踊り、発作的に笑う。感情の昂ぶりによって発せられたその笑いは狂気なのか悲しみなのか。その感情すらも彼にとって喜劇にすぎないのかもしれない。

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